ワンピース108巻

2024年GW中にワンピース108巻をコンビニで買って読んだ。

 

前がどんな話で終わったか忘れたけど、ワンピースだから読んで間違いはない。

結果、やっぱり面白かった。珍しくシリアスで読んでて苦しくなる場面も多かった。

ボニーが初登場のシーンって何巻だったのかな?そこだけ読み返したい。

 

午前中は何もやる気がしなくて今日はもう駄目だと思ったけれど、困ったときは加藤諦三さんの本を読むと元気になる。

 

「安心感」「心の休め方」この本にはもう頑張らなくていい、休め!ということが色んな言い回しで書いてある。読み終わった後自分はこのままで良いんだなと思える。

 

加藤さんの本を読んだ後、何となく動いても良い気がしてちょっとだけ部屋の掃き掃除をしてみた。そしたらトイレ掃除もしたくなって、トイレの床拭きをしたらフローリングの床拭きもしたくなってストレスをぶつけるようにゴシゴシ拭いた。

 

トイレ、床がピカピカになると風呂の掃除もしたくなって、髪の毛を棄てて湯船を「ウタマロ」で掃除した。ウタマロの香りは洗剤特有のキツイ香りがしないから好きだ。

 

風呂場が綺麗になると流し台を掃除したくなって、シンクの掃除をした。

 

やる気がなくて今日はもう何もしないでおこうと思っていたのに、気が付けばトイレ、フローリング、風呂場、流し台の掃除が終わった。

休日の過ごし方としてまずまずのような気がする。

 

部屋が綺麗になると良い香りがする空間にしたくなった。丁度近くのドラックストアが開店している時間だったので散歩がてら芳香剤を買いに行く。

 

ドラックストアの近くに古本屋があったので、せっかくの休日だし本でも買って帰ろうと思ってふらっと立ち寄った。古本屋は開店して30分しか経っていないのに満車だった。GWだからといってみんな特にすることがないのかな?とか思ったり。私もその一人なのだけど。

 

古本屋では「くもをさがす」著西加奈子/「君のクイズ」著小川哲/「十角館の殺人」著綾辻行人の3冊を買った。今年本屋大賞の「成瀬は天下を行く」が読みたかったけど定価より200円しか安くなっていなかったので辞めた。中古で一冊1300円も出すのは抵抗がある。本当は買った方が良かったかもしれないけど。

 

帰りのコンビニでワンピース108巻を買ってしまった。ワンピースはずっと電子に切り替えようか迷っているけどいつも紙の漫画を買ってしまう。電子の方が引っ越しも荷物が少なくて楽なのは分かっているのに本能が「ワンピースは紙で買え」と言ってきて抗えない。

 

ワンピースを読んだら午後になっていたので昨日買っておいたコンビニの冷凍お好み焼きをチンして食べる。昨日の夕食はコンビニの冷凍たこ焼きだったのに、今日も粉ものを食べるのかと疑問に思いながら平らげた。冷凍なのにこんな美味しいのは何でだろう。

 

昼食を食べ終わるといよいよ何もすることが無くなった。部屋も綺麗だし、必要なものは午前中ドラックストアで買い終わってしまった。ワンピースの余韻に浸りたくて他の買った本を読み始めるのにも抵抗がある。それでワンピースの感想を書こうとブログを開いたという訳だ。それにしてはワンピースの感想を2行くらいしか書いていない。

読んだ漫画の感想を書くのは苦手だ。特にワンピースは登場人物が多すぎてあんまり分かっていないし説明も出来ない。でも泣けるのは何でだろう。30過ぎて涙もろくなったせいだろうか?

 

この後はどうしよう。特に何も用事が無いし今度こそ「何もしない」ことになりそうだ。でもそれはそれで苦しい。何もしたくないけれど何もしないことは出来ない。だからだらだらこうしてブログを書いている。

 

子どもも頃は母親が自由をくれなかったのでいつも見張りが付いているような生活だった。人生設計が生まれた時にはほぼ確立されていて、私は母が作ったレールに乗っていれば良かったのだ。だから進路相談でも悩んだことが無いし就職先も母が望んだ通りに決めたつもりだ。でもやっぱり自分の意志が無いとどこかで綻びが出てしまう。私は就職先で3年も持たず辞めてしまった。母が納得しないような小さな会社の低収入な事務職へと落ち着いたのだった。

 

母が学生のうちは恋愛をするなと言ったのでそれもちゃんと守った。男性から誘われても的外れなことを言われたような気分で断ったし、好きなタイプで盛り上がっている友達を遠い存在として見ていた。だけどどうしか、社会人になった途端母に「良い人いないの?」と急に恋愛するように仕向けられたのだ。私は「え?恋愛していいの?」状態だった。その時既に23歳。今更異性に興味なんて持てなかった。完全に自分には関係ないものだと思っていたからだ。

 

現在30代だが未だに恋愛をしたことがない。異性に興味が持てない。どこかで持ってはいけないと思っている。ずっと心にブレーキをしてきたせいかアクセルの踏み方が分からないといった感じだ。もうこのままで良いと思う。これもきっと個性なんだろう。

 

加藤諦三さんの本を読んで誰かと一緒にいて疲れる人は、子供時代ありのままの自分を愛してもらえなかったからだと書いてあった。本当にその通りで、私は母に気に入られるために母にとっていい子でいなければならなかった。そうしないと無視されたり目の前で物に八つ当たりされた。どんな暴力や罵倒より無視されるのが怖かった。生存本能的なものだったと思う。姉も妹も誰もが認めるいい子だった。それは八方美人ともいえる。きっと私もそうなんだろう。

 

加藤さんの本には完璧な親などいないと書いてある。だから誰しも生まれながらに試練があって、それを克服していくことが運命(さだめ)だと書いてあった。

私もこの面倒な性格と上手く折り合いつけながら生きていくことが運命なんだろうな。

 

今日はとりあえず買ってきた本を読もう。